今まで見てきた手引の使い方は、どうしても守るべき原則ではなく、唯一のあり方でもありません。一つのサジェスチョン、あるいは、ガイドにしかすぎません。手引自体も一つのツールです。スモールグループを継続すること自体もゴールではありません。では、聖書を中心としたスモールグループは何を目指していくのでしょう。
聴くだけではなく従うこと
スモールグループで神のことばを共に読むのは、何のためでしょうか。知識を増やすためではありません。知識は大切ですが、聖書知識を増やすためには、他により良い方法があります。スモールグループで神のことばを共に読むのは、神のことばを聴いて、それに応答していくためです。
コミュニティーの形成を
しかし、みことばに聴いて従うことならば、個人のデボーションでもできます。スモールグループでみことばに聴くというのは、共同体としてみことばに聴き従うことであり、それは、コミュニティーを形成することにつながります。
大宣教命令
マタイの福音書28:18-20にある有名な大宣教命令の中心は、「あらゆる国の人々を弟子としなさい」です。その弟子とは、大宣教命令によると、主イエスが「命じておいたすべてのことを守るよう教え」られた者です。では、主の命令とは何でしょうか。それは、「山上の教え」にあるように「神と人を心から愛すること」です。
大宣教命令を実践する群れ
つまり、主のことばに聴くだけでなく、主に従うスモールグループは、神と人を愛する群れとして成長していきます。それは、互いに励まし合い、具体的に助け合い、祈り合うコミュニティーであり、周りの困っている人々にも手を差し伸べていくようなコミュニティーです。それが神の国であり、大宣教命令が目指していることです。そして、そのようなスモールグループの様子は、『使徒の働き』に記されています。
ローマ帝国さえも
実は、教会堂もなく、たびたび迫害をとおった紀元一世紀から三世紀の教会は、そのようなスモールグループをとおして地中海世界全域に広がり、ついにはローマ帝国のあり方さえも変えたのでした。
第一歩は「心を開いた分かち合い」
そのような神と人を愛する共同体を形作る第一歩は、心を開いた分かち合いではないかと思います。一人一人の心の奥底にある疑問、苦しみや痛み、喜びや夢、などが、分かち合われ、受け止められるスモールグループを目指したいと思います。しかし、個人により、またグループによってそれは簡単ではありません。一人一人が神に取り扱われて神の無条件の愛を自分のものとしていくこと、人を裁かない真実ないたわり合いがあることなども、同時に必要です。それには時間がかかります。あせらず、祈りつつ、ゆっくり目指しましょう。
また、手引の質問に答えるなかで、そのような個人の思いや状況が表されることがあります。しかし、バイブル・スタディの中だけで分かち合いをするのは、時間的に無理があるかもしれません。バイブル・スタディの前か後で、交流の時間を持つことが大切なのは、そのためです。
限られた時間の中で、分かち合いもし、手引を使って学びもするのは、簡単ではありません。その場合、手引の一課を何回かに分けると良いと思います。
大切な原則
「心を開いた分かち合い」をスモールグループで実現していく上で非常に大切なことがあります。それは秘密の保持です。自分の個人的なこと、人には知られたくないことをやっとスモールグループで分かち合ったとします。それがいつの間にか、他のグループや教会の人々に知られていたとしたらどうでしょう。もう二度と、スモールグループで大切なことを話すことはないでしょう。「善意で、祈りの課題として」人の秘密を他言することがあるとしたら、それは、真実な交流の土台を崩すことになります。それは、Eメールアドレスなどの他の個人情報にしても同じです。
「本人の同意なくして、その人のストーリーや他の個人情報を絶対に漏らさない。」これは、司会者やスモールグループのリーダーだけでなく、グループのすべてのメンバーが心に固く決意しなければならないことです。
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