聖書の中のスモールグループ


聖書の中にもスモールグループが存在します。というよりも、重要な役割があるように思えます。2021年10月9日に、在欧日本人宣教会主催で行われた「『使徒の働き』に学ぶ、ローマ帝国を変えたスモールグループ」 というセミナーでの講演では、「使徒の働き」を中心に、聖書が語るスモールグループについて語っています。

 右のボタンを押すと講演部分の録画を視聴できます。(15分)

 講演内容は下に記しています。



Q&A

教会にどのようにスモールグループを導入したら良いでしょうか。スモールグループの人数や、頻度、スモールグループで手引きを使う基本は、など、よく寄せられるご質問に答えています。右のボタンからお進みください。



「使徒の働き」に学ぶローマ帝国を変えたスモールグループ

 キリスト教会が生まれて300年の間、初期の教会には会堂がありませんでした。教会は、信者の家で集まっていた小さなグループの集りだったのです。しかも、女と奴隷の宗教だと見下され、たびたび迫害を受けていました。ところが、その300年間に、教会はローマ帝国内で確実に広がり、ローマ社会に影響を与え、ついには、国教にまでなったのです。

 現代の教会のあり方は、地域や文化、教派の伝統によって様々で、それでよいのですが、苦闘しながらも成長していった初代教会の姿から、私たちが学べることがいくつかあるかもしれません。3つのポイントにしぼって記します。

 

I         スモールグループの大切さ

 第一はスモールグループの大切さです。

 

A       主イエス

 主イエスは、12人というスモールグループで弟子を育てました。12というのは、単にイスラエルの12部族を象徴的に表しただけではないと思います。主イエスは12人をそばにおいて飲食を共にし、訓練し(マコ3:14-15)、12人に特別に教え(マコ9:34以降)、実際に派遣し(マコ6:7)、エルサレムに近づくと、そこで起こることを12人だけに話しました(マコ10:32以降)。エルサレムに入って過越の祭りを祝ったのは、この12人とでした(マコ14:17以降)。

 大切な働きを担う人を育てるのは、少人数でしかできません。イエス様でさえ、12人というスモールグループで人を育てたのです。

 

B       初代教会

 ペンテコステ以降の時代も、スモールグループは重要でした。当時、一つの教会は、いくつもの家に集うクリスチャンの集まりでした。それをここではハウスグループと呼びます。そのハウスグループの様子を見ていきましょう。

 

1       パンを割き、食事をするハウスグループ(2:46)

 エルサレムではペテロの説教で、3000人ものユダヤ人が悔い改めました。その人たちは、礼拝は神殿でささげましたが、食事とパン裂きは何十もの家に分かれて行いました(2:46)。

 

2       パウロが荒らした家々にある教会(8:3)

 サウロ、後のパウロは、クリスチャンを迫害し、「家から家に押し入って、教会を荒らし」(使徒8:3)ました。なぜ、家から家に押し入ったのでしょう。それは、そこに教会があったからです。

 

3       ペテロのために家で祈るハウスグループ(12:5、12)

 その後、ペテロがヘロデ・アグリッパによって捕らえられると、「教会では彼のために、熱心な祈りを神にささげていた」(使徒12:5)とあります。その「教会」とは、「ヨハネの母マリアの家」(使徒12:12)でした。

 

4       親族や親しい友人を含むコルネリウスのハウスグループ(10:2、24)

 カイサリアでは、百人隊長コルネリウスの家にペテロが来ることになりました。そこには、「家族」(10:2)だけでなく「親族や親しい友人たち」(10:24)が集まり、ペテロの説教によって救われました。その後も回心者たちはコルネリウスの家に集っていたことでしょう。

 

5       兄弟たちが集まるリディアのハウスグループ(16:40)

 パウロによるピリピ宣教では、リディアの家に、彼女の家族や他の回心者たちが集うようになり(16:14-15、40)、エペソ教会として成長していきます。

 

6       宣教の拠点となるコリントのハウスグループ(18:1-4、7、11)

 コリントでは、アキラとプリスキラの家(18:1-4)、そして「ティティオ・ユスト」の家(18:7)にパウロは滞在して、一年半にわたるコリント宣教を行いました。

 

7       ローマ教会のハウスグループ(ロマ16:3-16)

 ローマ教会はどうでしょう。パウロはローマ教会に宛てた手紙の最後で、いくつものスモールグループに挨拶を送っています。それは、プリスカとアキラの「家」(ロマ16:5)、「アリストブロの家」(16:10)、「ナルキソの家」(16:11)、「アシンクリト…とともにいる兄弟たち」(16:14)、「フィロロゴ…とともにいるすべての聖徒たち」(16:15)でした。ローマ教会も、いくつかのハウスグループ、スモールグループによって構成されていたのです。

 

8       長老たちが導くハウスグループ(14:23)

 ここで、長老について一言触れます。パウロは、小アジアの町々で伝道すると、教会ごとに長老たちを選んで教会を任せました(14:23)。おそらく長老の多くはハウスグループのリーダーでもあったと想像できます。

 つまり、一つの町にいくつかのハウスグループがあったとしても、教会全体を導く指導者、長老たちが選ばれたのです。現代の牧師と役員、あるいは、長老にあたる存在です。

 

9       まとめ

 以上、「使徒の働き」を中心に見てきたことは、当時の教会がいくつかのハウスグループによって構成され、その全体を長老たちが導いていたことです。

 

C       まとめと適用

 第一のポイント、それは、スモールグループの大切さです。イエス様も、初期の教会も、クリスチャンはスモールグループで成長しました。スモールグループにおいて次世代のリーダーが育まれ、その結果、教会が地中海全域に広がっていきました。スモールグループが、教会の力、成長の源だったのです。

 

 そこで、お勧めしたいことがあります。

 今、すでにスモールグループを導いておられる方は、ご自分の働きが重要であることを確認していただきたいと思います。

 また、スモールグループを導いておられない牧師先生方や信徒リーダーの方々は、スモールグループを始める可能性を探るのはいかがでしょうか。大袈裟に考える必要はありません。準備もほとんど要りません。「聖書を読む会」などの手引を使って共にみ言葉に聞く、ゆったりと語り合う、お互いの仕事や家庭のこと、痛みや苦しみ、喜びや夢に耳を傾ける。自分自身のことも分かち合う。また、冗談を言って大声で笑う。みことばを中心に人と人が心を開いて出会う場。それがスモールグループです。そのためには、イエス様の十字架に表された神様の無条件の愛が、一人一人の心に染み込んでいかなければなりません。そうしなければ、私たちはクリスチャンらしさを装って心を開くことができません、同時に他人を裁いてしまします。

 そのために、心を開いた分かち合いはすぐには実現しないかもしれません。しかし、時間をかけて、そこに向かっていけばよいのです。色々な事情でなかなかうまくいかなかったら数ヶ月でやめてもよいと思います。リアルが難しなら、オンラインで行ってもよいのです。まず期間限定で試してみるのはいかがでしょう。

 以上、第一のポイントである、「スモールグループの大切さ」を見てきました。

 

II       リーダーは旧約聖書のメシア像を知っていた

 

 第二のポイントは、当時の教会のリーダーは、旧約聖書のメシア像を知っていた、という点です。「メシア」のギリシア語訳が「キリスト」です。

 

A       教会のリーダーは旧約聖書のメシア像を知っていた

 1 ステパノは、現在の執事や役員にあたる、信徒の立場の人ですが、彼の最高法院での説教は、すばらしいものでした。旧約聖書の流れをとうとうと述べて、大祭司と律法学者に悔い改めを迫りました。

 

 2  ルカ1章のマリアの讃歌を見ますと、若きマリアでさえ、旧約聖書のメシア預言を知り、メシアに明確な期待を抱いていたことがわかります。1世紀のユダヤ人は幼いころからメシア預言を聞いて育ち、メシアを待望していました。ですから、福音書を読むと、メシアはいつ来るのか、誰がメシアなのか、などが話題になっていたことがわかります。

 

 3 「使徒の働き」の最初の数章にあるペテロの説教(2:14-36、3:12-26)は、その点で注目に値します。当時のユダヤ人は、異教徒からイスラエルを解放するのがメシアのはずなのに、ローマによって十字架にかかったような人物はメシアではありえないと考えていました。そこでペテロは、旧約聖書のメシアに関する預言が、どのようにイエス様の十字架と復活によって成就したのか、そのことに焦点を当てて語っています。詳しくは、「使徒の働き」の手引をご覧ください。

 

 4. そして、使徒たちが、地中海全域に出ていって伝えたのも、そして、新約聖書が全体として訴えているのも、「イエスこそが旧約聖書が預言したメシアなのだ」というものでした。

 当時の教会のリーダーは、旧約聖書のメシア像を知っていました。そのメシア預言がどのように主イエスの十字架と復活によって成就したのかを理解し、信じていたのです。これが第二のポイントです。

 

C       まとめと適用

 なぜこの点が重要なのでしょうか。私たちにとって罪の赦しは大切です。しかし、それは十字架による救いの一部です。旧約聖書を見ると、メシアは罪の赦しだけではなく、全被造世界を巻き込む壮大な救いをもたらすことが分かります。ところが、私たちはその点を十分に知らないために、イエス様の大きな救いを、「罪の赦し」という大切であるけれども一部分だけに限定する傾向がありました。その結果、クリスチャンの生きる意味が伝道だけになってしまい、職場や地域で、また社会や世界に対して、どのように生きるかが分かりにくくなってしまったのです。私たちはもう一度、使徒たちが語り、新約聖書が伝える最大のメッセージ、「イエスこそがメシアなのだ」という意味を捉え直す必要があると思います。

 

 今、感謝なことに、牧師先生方の間で「聖書を読む会」の「救いの基礎」と「神のご計画」が好評です、その理由の一つは、それが、旧約聖書のメシア像を分かりやすく伝え、イエス様がどのようにそのメシア預言を成就したのかを整理し、現在のクリスチャンがどう生きるのかを語っているためです。

 もちろん、「聖書を読む会」のテキストでなくても良いのです。どのようなツールを使うにしても、リーダーの方々は「主イエスこそ、人の魂だけではなく全被造世界を救う真のメシアである」という聖書全体が伝える信仰を養っていただきたいと願います。

 本日の第二のポイント、それは「リーダーたちは旧約聖書のメシア像を知っていた」というものでした。

 

III     ハウスグループは「神と人を愛した小さな群れ」

 最後になる第3のポイントです。「ハウスグループは、神と人を愛した小さな群れだった」ということを見ていきましょう。

 

A       教会の機能

 

 1. 最初期の教会では、食事とパン裂き(2:46)、つまり、後の聖餐式は家で行われていました。ステパノの殉教のあとは、礼拝と賛美も家で行われたことでしょう。

 

 2. そして、すでに見たように、祈り会も家で持たれ(12:5)、

 

 3. また、使徒たちは「毎日、宮や家々でイエスがキリストであると教え、宣べ伝え」た(5:42)と記されています。つまり、イエスこそが、旧約聖書で預言されていたメシアであるという宣教と聖書教育も家でなされました。

 

 4. 大切ですが、あまり注目されてこなかったのが、クリスチャンの具体的な助け合い、分かち合いです。「信者となった人々は…財産や所有物を売っては、それぞれの必要に応じて、皆に分配していた」(2:44-45)とあります。

 エルサレム教会はその後、貧しいやもめの必要に応えて配給システムを作っていきました。クリスチャンは互いに助け合って、神の愛を目に見える形で示し、その結果、周りの人々に好意をもたれたのです。

 また、教会内部だけではありません。クリスチャンはドルカスのように(9:36-39)、近所の貧しい人も助けていました。

 また、教会の歴史を紐解くと分かることがあります。ローマ帝国が弱体化し、北方の異民族が国境を超えて侵入してくると、難民が地中海沿岸の諸都市に流れ込んできました。その難民を率先して助けたのがクリスチャンでした。また疫病が度々ローマ社会を襲ったのですが、その時、病人を率先して手当したのがクリスチャンでした。そのような具体的な愛のわざが、多くの回心者を生み出したと言われています。

 そのようにクリスチャンは、お互いだけではなく、町の中の貧しい人、困っている人を助けていきました。その舞台となったのは、会堂がなかった当時、クリスチャンの家だったことでしょう。

 

 5. もう一つ、見落としがちなハウスグループの働きがあります。それは旅人をもてなすことです。パウロは色々な町を訪れる時、クリスチャンがいるとその家に滞在しました。カイサリアではピリポの家(21:8)、エルサレムではムナソンの家(21:16)、プテオリでも、滞在したのは兄弟たちの家でした(28:13-14)。ですから、パウロなどは、手紙の中で、「巡回伝道者や、旅する兄弟姉妹をもてなしなさい」と勧めているわけです(Iテモ5:10、ヘブ13:2)。

 

B       まとめと適用

 以上のようなハウスグループの働きを、一言で表すことができると思います。それは、神と人を愛することです。神を心から愛するがゆえに、クリスチャンは家で礼拝と賛美を献げ、み言葉に聞き、祈り、パンを裂きました。人を心から愛するがゆえに、食事を共にし、互いに助け合い、周りの貧しい人、困っている人を助け、旅人をもてなしたのです。

 当時のクリスチャンは、主イエスの教えを学んだだけではなく、実践しました。み言葉を聴いただけではなく、従いました。その結果、彼らは「神と人を心から愛する小さな群れ」となりました。

 そして、そのような小さな、小さな群れの生き様が、ローマ社会の人々を魅了し、ローマの異教文化を内側から変革し、300年の間にローマ帝国全体を大きく変えていったのです。

 

 現在、世界各地で、そのような小さな群れが生まれ、育っています。そして、その小さな群れが、21世紀の日本を、また世界を変えていくことと期待します。「聖書を読む会」は、そのような「小さな群れ」が、生まれ、育っていくために少しでもお役に立ちたいと願っています。


上記のメッセージで引用された聖書箇所をより詳しく述べています


1. 福音書

 主イエスは群衆を癒し、群衆に教えました。しかし、十二人使徒は特別でした。主イエスが彼らを特別に選んだのは、「ご自分のそばに置くため、また、彼らを遣わして宣教をさせ、彼らに悪霊を追い出す権威を持たせるためであった」(マコ3:14-15)とあります。

 また、十二人だけを呼んで大切なことを教え(マコ9:34以降)、エルサレムに入る前には、そこで起こることを十二人に話しています(マコ10:32以降)。そして、十字架にかかる直前に過越の祭りを祝ったのもこの十二人とでした(マコ14:17以降)。

 イエス様のそばにいて苦楽と飲食をともにしながら教えられ、訓練され、実践に遣わされた十二人は、後に宣教と教会形成において重要な働きを担うようになります。

 イエス様でさえ、ご自分の働きを受け継ぐ重要な人材の育成を十二人というスモールグループに限定しました。私たちもその事実を思い巡らす必要があるように思えます。

(写真はガリラヤ湖畔)


2. 使徒2章

「毎日心を一つにして宮に集まり、家々でパンを裂き、喜びと真心をもって食事をともにし」(使2:46)

 

ペテロの説教で悔い改めたユダヤ人は、神殿に集まって礼拝したようですが、食事とパン裂き(後の聖餐式)は家々でしていました。財産を売って貧しい兄弟姉妹と分かち合っていた弟子たちにとって(2:44-45)、家を開放することは当然だったのでしょう。家々でのスモールグループ、それが、エルサレム教会を形作っていたのです。

(写真は現代のイスラエル料理)


3. 使徒5章

「そして毎日、宮や家々でイエスがキリストであると教え、宣べ伝えることをやめなかった。」(使徒5:42)

 

ペテロと他の使徒たちは、最高法院に捕らえられ、鞭打たれ、「イエスの名によって語ってはならないと命じ」られて後、釈放されました。この5:42は、その直後に、彼らがまずしたことの記録です。当局から禁止され脅かされても使徒たちがしたのは、イエスがメシア(キリスト)であると教えることでした。注目したいのは、その教育の場は、神殿だけではなく、家々だったことです。家々では、食事とパン裂きだけではなく、聖書の教育もなされたのでした。一つの家に集って、食事をし、パンを裂き、聖書を教えられた人数は、現代のスモールグループよりも多かったと想像しますが、エルサレム教会がいくつものグループに分かれていたことは間違いありません。(写真はペテロの像)



4 使徒6章

「評判の良い人たちを七人選びなさい。… 彼らは、信仰と聖霊に満ちた人ステパノ、およびピリポ、プロコロ、ニカノル、ティモン、パルメナ、そしてアンティオキアの改宗者ニコラオを選び、この人たちを使徒たちの前に立たせた。」(使徒6:3、5-6)

 

 

エルサレム教会は、貧しいやもめの必要に応えていました。その務めのために選ばれたのがこの七人です。ステパノは、この後、ユダヤ人と論争して勝ち、そのために策略にあって捕らえられて最高法院に引いていかれます。そこでステパノが大祭司や律法学者を前に述べた聖書の説教(原稿なし!)は、すばらしいものでした。十二使徒が神のことばに専任するために選ばれた、現在の執事や役員と呼ばれる立場の人です。エルサレム市にあった多くのハウス・グループの指導者は、このような人物だったのではないかと想像します。

(写真はレンブラントのステパノ)


5  使徒8章

「サウロは家から家に押し入って、教会を荒らし、男も女も引きずり出して、牢に入れた。」(使徒8:3)

 

ギリシア語では、「荒らす」と「牢に入れる」が主動詞で、「押し入る」と「引きずり出す」が分詞です。つまり、家々に押し入ることにより教会を荒らし、信者を引きずりだすことにより牢に入れた、という意味になります。ステパノの殺害の後、サウロ(後のパウロ)は教会を荒らそうとしたのですが、そのためには家々に押し入らなければならなりませんでした。なぜなら、そこに教会を構成するクリスチャンがいたからです。教会は家々にいたスモールグループ(このシリーズでは「ハウスグループ」と名付けたいと思います)によって成立していたことがよく分かる箇所と言えるでしょう。(写真はパウロ)


6 使徒10-11章

「その人が、あなたとあなたの家の者たち全員を救うことばを、あなたに話してくれます。」(使徒11:14)

 

コルネリウスは、ローマ軍イタリア隊の百人隊長で、ローマの総督官邸があるカイサリアで任についていました。異邦人でしたが造り主を信じ、敬虔な生活を送っていて、「家族全員とともに神を恐れ」ていました(10:2)。神からの幻を見ると、「親族や親しい友人たちを呼び集めて」(10:24)、ペテロ一行の到着を待っていました。そしてペテロの説教により、コルネリウスとそこに集まっていた者たちが救われたのです。ここでも、異邦人ながら敬虔な人物を中心にクリスチャンのハウスグループが形作られた様子を見ることができます。コルネリウスのハウスグループは、その後どうなったのでしょうか。記録はありません。しかし、ピリポのハウスグループ(後述)とともに、カイサリア教会の一翼を担ったのではないかと想像します。

(写真はコルネリウスの絵)



7 使徒12章

 「教会では彼のために、熱心な祈りを神にささげていた。」(使徒12:5)

 

ヘロデ・アグリッパによってペテロが捕らえられると、エルサレム教会は熱心に神に祈っていました。では、その教会とは何を指すのでしょうか。ペテロは、奇跡的に牢から解放されると、「マルコと呼ばれているヨハネの母マリアの家に行った。そこには多くの人々が集まって、祈っていた。」(12:12)とあります。すでに見てきたように、エルサレム教会と言った時、それは家々に集まっていたクリスチャンを指しました。教会はいくつかのハウスグループによって構成されていたのです。

(写真はエルサレム旧市街)


8 使徒14章 アンティオキア

「また、彼らのために教会ごとに長老たちを選び、断食して祈った後、彼らをその信じている主にゆだねた。」(使徒14:23)

 

クリスチャンを迫害していたパウロはダマスコ途上でイエスと出会って回心し、アンティオキア教会からバルナバとともに宣教師として派遣されます。二人は小アジアの諸都市で伝道し、多くの人々を弟子としました。そして、町ごとに長老と呼ばれる指導者を選びました。一つの町にいくつかのハウスグループがあったとしても、そのハウスグループをまとめる指導者、つまり、その町の教会の指導者が選ばれたことがわかります。それが長老と呼ばれる存在でした。

(写真は現在のアンティオキアby Maarten Sepp)


9 使徒16章 ピリピ

「牢を出た二人はリディアの家に行った。そして兄弟たちに会い、彼らを励ましてから立ち去った。」(使徒16:40)

 

パウロたちは小アジアを離れてマケドニア地方に渡り、ピリピ市に到着しました。その町にはユダヤ人男性の数が十人に満たないため、会堂を立ち上げることができませんでした。そのため、パウロは川岸で祈っていたユダヤ人たちに話をしました。その話を聞いていたリディアという神を敬う女性が入信し、彼女とその家族の者たちがバプテスマを受けました。そして、パウロたちに自分の家に滞在するよう願います。リディアは高級品だった紫布を扱うティアティラ市(小アジア)のビジネスパーソンです。ピリピには、金鉱があり、エグナティア街道が通り、ネアポリスの港にも近かったので、マケドニア地方の主要な町として栄えていました。そのため、リディアはここをビジネスの拠点とし、家も持っていたのだと思われます。その後、パウロたちは占いの霊につかれていた女奴隷のことで、牢に入れられますが、そこで牢の看守とその家族も救いに導きます。牢から解放されたパウロたちは、リディアの家で「兄弟たちに会い」ます。ピリピで救われた人たちは、リディアの家で集まるようになったのでしょう。その後、ピリピ教会は、成長し、伝承によればテモテを指導者として迎えることになります。エペソでもハウスグループが教会の礎となりました。

(写真はエペソの遺跡)



10 使徒18章 コリント

パウロは、コリントでアキラとプリスキラと出会い、その家に住み、自ら仕事をしながら、安息日には会堂で論じていました(18:1-4)。また、パウロは「そこを去って、ティティオ・ユストという名の、神を敬う人の家に行った。その家は会堂の隣にあった」(18:7)。「会堂司クリスポは、家族全員とともに主を信じた。また、多くのコリント人も聞いて信じ、バプテスマを受け」たと書かれています(18:8)。「パウロは一年六か月の間腰を据えて、彼らの間で神のことばを教え続けた」 (18:11)のですが、それは、アキラ家、ユスト家などの、クリスチャンの家に滞在しながら行われた宣教だったことでしょう。

 今まで学んだことから推察すると、パウロがコリントを去るときには、ハウスグループの指導者の一人、あるいは複数を長老として任じ、コリント教会を委ねたことと思います。そして、いくつか生まれたハウスグループでは、クリスチャンが食事をともにし、パンを裂き、聖書を学び、互いに助け合い、分かち合う共同体が育っていったことでしょう。

(写真はコリントの遺跡)


11 ローマ16章 ローマ教会

「また彼らの家の教会によろしく伝えてください」(ロマ16:5)

 

パウロは第三回宣教旅行を終えるころ、ローマの教会に手紙を書いたと考えられています。その手紙の最後には、まだ訪れていないローマ教会の兄弟姉妹への挨拶が書かれています。その部分を読みますと、プリスカとアキラの「家の教会」、「アリストブロの家の人々」(16:10)、「ナルキソの家の主にある人々」(16:11)、「アシンクリト…とともにいる兄弟たち」(16:14)、「フィロロゴ…とともにいるすべての聖徒たち」(16:15)と列挙し、ローマ教会の中のさまざまなハウスグループに挨拶を送っています。今まで見てきた教会のように、ローマ教会も、様々なハウスグループによって構成されていたようです。

(写真は古代ローマ遺跡)


12 使徒21章 カイサリア

「翌日そこを出発して、カイサリアに着くと、あの七人の一人である伝道者ピリポの家に行き、そこに滞在した。」(使21:8)

 

パウロは、第三回宣教旅行を終えてエルサレムに帰る途中、カイサリアを通り、ピリポの家に滞在しました。ピリポは、エルサレム教会で配給の任についた七人の一人で、ステパノの事件によって散らされてサマリヤで伝道し、ガザへの道ではエチオピアの高官に福音を伝えました。その後、アゾトに行き、カイサリアに落ち着いて、四人の娘と生活しています。もし、コルネリウスが他の地に転任になっていなければ、カイサリアには、コルネリウスのハウスグループもあったことでしょう。また、他にも弟子がいたことが明らかです(21:16)。カイサリアには、おそらくいくつかのハウスグループがあり、ピリポはカイサリア教会の中心的なリーダーだったと思われます。

(写真はヘロデ大王がカイサリアに建設した水道)



13 使徒21章 エルサレム

「古くからの弟子である、キプロス人ムナソンのところに案内してくれた。私たちはそこに泊まることになっていたのである。」(21:16)

 

 パウロは町を訪れる時、兄弟たちがいるとそこに滞在しました(9:42参照)。カイサリアではピリピの家でした。パウロたちが第三回宣教旅行を終えてエルサレムに来た時は、ムナソン家に滞在することになっていました。当時、ハウスグループが、そのような伝道者や旅人をもてなしていたのでしょう。新約聖書の手紙の中では巡回伝道者や旅をする兄弟姉妹をもてなすことが、各地のクリスチャンに勧められています(Iテモ5:10、ヘブ13:2)。

(写真はエルサレム旧市街)


14 使徒28章 プテオリ

「二日目はプテオリに入港した。その町で、私たちは兄弟たちを見つけ、勧められるままに彼らのところに七日間滞在した。こうして、私たちはローマにやって来た。」(使徒28:13-14)

 

エルサレムで捕らえられたパウロは、ローマ軍に護衛されてカイサリアに、その後は船でローマに向かいました。難破などの苦難を経て、ついにイタリア半島南端のレギオン、ついで、今はナポリの一部となっているプテオリに着きます。そこで、彼らが滞在したのはやはり兄弟たちの家でした。その後、パウロはローマに着き、使徒の働きが閉じられます。

(写真はナポリ市内にあるプテオリの遺跡)


15 まとめ1ー 主イエスの弟子作り

 このシリーズでは、スモールグループに焦点をあてて、新約聖書を見てきました。

 初期のユダヤ人クリスチャンは、律法学者から見れば無学な者だったとはいえ、ユダヤ人として幼い時から旧約聖書を学び、暗記してきました。ステパノの説教を見るとそのような教育を垣間見ることができます。私たち異邦人クリスチャンは、まずはこのスタートの時点で違いがあります。旧約聖書が指し示してきたメシアが主イエスです。新約聖書を正しく理解するためには、旧約聖書という土台をしっかり据えることが求められていると思います。

 それに加えて、主イエスご自身が、少人数を選んで、生活を共にし、教え、指導し、何年もかけてリーダーを育てたことは重要です。そのようなリーダーが、後に活躍していきました。

(写真は 死海文書 イスラエル国立博物館)



16 まとめ2ー初期の教会

 当時、一つの町には一つの教会があり、その教会はいくつかのハウスグループで構成されていたようです。それぞれのハウスグループでは、クリスチャンが食事をともにし、パンを裂き、聖書を学び、互いに助け合い、分かち合う共同体が育っていました。また、巡回伝道者や旅人が立ち寄るとそのような家々に滞在しました。教会全体を導くために長老が一人、あるいは複数立てられましたが、長老はハウスグループの信徒リーダーでもあったと思われます。テモテのように外からエペソ教会の指導者として来る場合もありました。

(写真は紀元1世紀のエルサレムの家屋)


17 まとめ3 ー近現代の教会との違い

近現代の多くの教会は、牧師の指導の下、会堂を拠点として、さまざまなプログラムを展開してきました。しかし、国や地域によっては、経済的、人材的にその形を保つことが困難になっています。また、疫病や災害、また迫害に弱い形態ではないかと指摘されています。近年、世界各地でスモールグループによる宣教と教会形成が実践されているのも、現実の必要が背景にあるのでしょう。

 主イエスがされたように、まずは、聖書全体の流れをつかみ、明確な福音理解をもち、献身した信徒リーダーを、時間をかけて少人数育成する。そのような信徒が自分の家のスモールグループを導く。スモールグループが宣教、牧会、教育、福祉、礼典、宿泊の場となり、複数のスモールグループが教会を形成していく。

 この1世紀の教会の姿が規範とならないまでも、そこから、21世紀の教会はいくつか大切な点を学ぶことができるように思えます。(次回が最終回となります)


18 最終回 まとめ4 一提案

「聖書を読む会」は1970年代から、スモールグループで聖書を読むことを推奨し、支援してきました。「聖書を読む会」として宣教と教会形成のためにお役に立てることがあるとすれば、ツールとしての手引だと思います。一つの例ですが、

 

一対一で

 先ずは、指導者が「救いの基礎・改訂版」と「神のご計画」を使って、一対一で、聖書全体の流れと福音を明確に伝える。

 

リーダーの集まりで

 指導者は、そのような人々の中から数人を選んで、少人数で、「ルカの福音書」、「使徒の働き」、「ローマ人への手紙」を手引を使って学んでいく。その学び会を継続して、人格的な交流を深めながらリーダーを長期間にわたって育てていく。

 

各スモールグループで

 リーダーたちは、自分たちのスモールグループを始め、そこで手引を使って学んでいく。それぞれのスモールグループが、互いに助け合い、分かち合う共同体として成熟していく。

 

 もちろん、現実には、教会の状況はそれぞれ大きく違いますし、絵に描いたようにはいかないのですが、一つのヒントになればと願っています。

 (シリーズ最終回)

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