秋のスモールグループ・セミナー 2024年9月7日(土)
偏らずに両にらみ:全体と部分 発題:福田崇
1.聖書のそれぞれの箇所の学びに入る前に、聖書の全体像を掴む大切さ:
聖書の66巻を読むときに、それぞれの概観(テーマ・著者・執筆年代・執筆状況・対象など)を知ることは助けになります。「みことばの光」では、ある書の通読に入る前に、概観のページがあります。
聖書全体についても同じことが言えます。創世記から黙示録までの流れを理解することが大事です。なぜなら神の啓示は、歴史的な出来事である神の民の歩み、神のなされたことの記録の面もあるからです。欧米からの開拓的な働きでは、土台となる世界観・神観・歴史観などを脇において、イエス・キリストの出来事に焦点をあてていました。ウィクリフでも、イエスさまの出来事を伝えたいという思いから、新約聖書のみの翻訳でした。キリスト教は、旧約聖書を神のことばとして受け止めてスタートしたわけですから、新旧約の全聖書が正典です。現在では、ウィクリフは全聖書を目標にしています。私たちが関わったフィリピンでもバーリグ語では2022年に全聖書の献呈式が行われ、カダクラン語では来年に献呈式が行われると思います。教会形成・開拓伝道といえば、人を集め、イエスの十字架の伝道説教をして、決心者をつのり、集会を始め、洗礼を授け、奉仕を始めるという流れでした。そこでは集まった人の数、伝道集会の数、決心者の数、受洗者の数が大切でした。成果がでないと、支援が打ち切られるからです。
その結果は、多くの人が決心し、洗礼を受けても、後戻りする人々の数の多さです。全体像を受け留めておらず、主に仕える霊性の深まりも弱く、くたびれてしまったり、自分は不十分な奉仕しかできないと落ち込んでしまったりするからです。日本でも戦後の各種伝道集会における決心者、受洗者の数は累積すると、相当の数になっているはずですが、結果は厳しいものです。フィリピンやパプアニューギニアで働いているニュー・トライブス・ミッション(NTM)では、多くの「成果」を出しましたが、後戻りする人々の数の多さに対して、一つの弱さに気が付きました。聖書の世界観・神観・歴史観の土台の上に、イエスの救いの御業を伝えることです。そのために、聖書全体の学びを導入しました。日本語では3巻にわけて出版されています、「確かな土台:創造からキリストまで」です。聖書を読む会で出版した「救いの基礎」「神のご計画」は、シンプルに聖書全体を学べるようになっています。聖書同盟の「E100チャレンジガイド」も、聖書の100箇所を創世記から黙示録の中から選び、全体を学べるようになっています。初心者向けのディスカバリー・バイブス・スタディのようなスモールグループのガイド的な書籍には、聖書から50あるいは100のテキストを選んで、紹介しているものもあります。一番シンプルなのは、「せかいは新しくなる」という絵本で、日本聖書協会の出版です。絵本の場面は12です。天地創造から新天新地の創造までです。私が作成した「第一幕~第七幕のチャート」も参考にしてください。宣教教会では、聖書全巻通読マラソンをやっていました。今でも、一年に一度は聖書を通読する人々もいます。「Be シリーズ」が英語ではあります。申命記は「Be Equipped」(整えられていなさい)とまとめられています。その書が、聖書全体のメッセージにどのように貢献しているかという視点です。
私たちが奉仕したバーリグ地区のカトリック教会の信徒代表の方が重い病気になりました。教会は、すでに100年ほどの歴史を刻んでいます。この方の家族は、豚を殺し、諸霊にささげ物としてささげ、癒しを願いました。神父さんは、非常にがっかりしていました。神観・見えない世界の理解が、伝統的な価値観とバッティングした出来事でした。
2. み言葉を実生活に活かす共同体の形成:
#1と関連していますが、人を集め、伝道説教をして、決心者をつのり、洗礼を授けるという開拓伝道をした人々は、同時に多くの地域教会を始める、福音が未伝地に広がって行くことをヴィジョンとしている人々でした。洗礼を授けた宣教師の先生との関係性はできても、他の兄弟姉妹との関係性は薄かったと思います。
「かつては洗礼の準備期間は時として三年の長きに及びましたが、幼児洗礼が一般的となった今日では、この「準備」には歴史的な関心が寄せられるに過ぎません。それでも、教会生活の大きな部分が、キリストを信じるようになるその信仰を洗礼で成就すべく待機する「啓蒙者(訳注:洗礼志願者)」の洗礼準備にあてられていたことは思い起こされるべきです。」
世のいのちのために:正教会のサクラメントと信仰 98頁
上記は、東方正教会についてですが、西方教会のカトリック教会も、392年にキリスト教がローマ帝国の国教になってからは、すべての市民が幼児洗礼を受けるようになり、洗礼への準備期間がなくなりました。堅信礼を十歳前後で受けますが、それまでの一年間ほど、カテキストといわれる人から、教理問答を教えられます。教えを学びます。生き方、価値観、歴史観、神観、世界観についてというより、教理の学びです。
1965年に第二バチカン公会議が閉会になり、信徒が神の民として中心となりました。神学校のカリキュラムも新しくなりました。聖霊の導き、聖書に向かい合うことが強調されるようになりました。そのような中でイタリアで「新求道期間の道」という信徒運動がスタートしました。初代教会のように、最初の数年を大事にして、できるだけ共同体性を保ち、神の国に生きる生き方を身につける、価値観・歴史観・神観・世界観のレベルまで、分かち合う中で自然と身に付いていくことが目指されました。世界的に拡がっており、神学校も100ほど設立し、司祭も養成しています。日本の大阪高松教区でも、このミニストリーはスタートしましたが、日本の司教団は、これの撤退をバチカンに要請し、頓挫しました。またフィリピンではほぼすべての司教区においてキリスト教基礎共同体が盛んになっています。それまでの会堂で行わるミサに出席する人が、全信徒の20%ほどである状況のなかで、会堂にこないなら、信徒が住んでいるところで、数家族を一つのキリスト教基礎共同体として、司祭がいないなかで、信徒が中心になって、賛美・聖書の学び・分かち合い・執り成しの祈り・聖餐を毎週しています。
日本のプロテスタント教会も、教会形成の初期の段階の大事なステップを飛ばしてきているのではないかと思います。この世から離れ、主イエスを信じて、罪の赦しをいただき、地域教会という群れの礼拝出席、奉仕が中心となり、「天国へのきっぷを手に握って」、待っているという信仰生活ではなかったのではないでしょうか。この地で、地域社会の中で、神の国に生きる者として、主に仕えていく面が弱かったと思います。教会の伝道プログラム・イベントに協力して奉仕する姿です。人集めのイベントは、迫害の強い地域では、できません。人々の生きている場で、愛によって、明るく、楽しく、一緒に生きていく中で、福音を拡げることが大事です。そのためには、スモールグループで、数年間、密着して共に歩むことが大事です。
我が家の隣に住む、フィリピンからの宣教師夫妻は来日して25年です。最初は一人一人とかかわり、聖書の学びをしました。いくつかのスモールグループができるためにそのリーダーを育てました。いくつかのスモールグループが数年歩んだあとで、主日礼拝を始めました。最初は一か所での礼拝ですから、宣教師が司会・説教をしました。スモールグループが増えていき、他の場所でも礼拝が必要になり、主日の礼拝ができるようにスモールグループにリーダーの中からさらに育てました。今では6つの群れでの主日礼拝、2つの開拓的な交わりがあります。6つの群れにそれぞれ、牧師・副牧師・礼拝担当主事・スモールグループ担当主事・総務主事の5人が立てられており、全体では30名です。皆、群れの中からの人々です。全体で2百名ほどの群れになっていると思われますが、未だに会堂はありません。
3.方法は様々あり、聖霊の導きにより、集められる人々に適切に:
聖霊の導きが大事です。また集っている人々の状況を知ることも大事です。それぞれの群れにどのように主が育てるミニストリーを展開してくださるかを、ワクワクして期待し、喜びをもってお従いしていきましょう。
「活動するグループ」 「働く信仰」誌編集部編 山田隆訳
この本は1968年にKGKから出版されました。様々なスモール・グループで、信仰を働かせて、仕えていく視点です。訳者のあとがき:「信徒としては伝道しなければならぬと言われても、実際には、どうしたらよいかわからぬ」というのが実状であるとすれば、現代の教会のありかた、特にその重要な鍵となっている信徒活動の実際面において、それこそ《働く信仰》の実践への有力な手がかりが見出され、活用されねばならない。その点で、本書のような書物から多くの可能性が見出されるばかりでなく、それらをこの国の状況の中で開発して教会の発展へと結びつけていく、創造的な意欲と感覚をも鼓舞されるのではあるまいか。
日本の教会は、この半世紀、どのように歩んできたでしょうか。今こそ、主の導きを求め、工夫して、「みことば生活」を地道に進めて行くときではないでしょうか。
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